特別版 2016年3月07日 あれから5年 寒風沢島!

 

以降の日記を見ていただく前に、震災前に「寒風沢島」を尋ねさせていただいた時の
日記をご覧いただきますと!更に御理解頂けると思いますので、ご一読下さい。

第284回 2010年4月5日 “浦戸諸島・寒風沢”


2016年3月11日で震災から丸5年を迎える浦戸諸島「寒風沢島」に向かいました。
もちろん震災前にも、震災直後にも尋ねさせていただきました。

震災直後の島は、まだ瓦礫の山で居住地には家の土台しか残っていない状態でした。
震災前に、この島で初めてお会いしたのが「土井さん御家族」!
海辺で網の修理をしていました。
塩釜から嫁いで来た奥さんは島で理容室をしていました!
ご自宅に居らした「土井さん」のご主人にお会いすることができました。


「あれから5年」!土井さんは島を離れることも考えましたが
漁業の仕事ができるうちはと、島にとどまり漁業を続けています。
土井さんの居住地域は震災前は30数世帯の集落でしたが
今現在は4世帯だけとなり、これでは理容室は続けられないと
奥さんはお店を閉めました。元気に頑張っておられました。。。


次に訪ねたのは!震災前に島名産の「白魚」をご馳走してくれた漁民センターの
「内海さん」にお会いしました。



お話を伺えば!島の護岸の整備も進み、壊れてしまった「カキ処理場」も
多くの支援を受けて再開し、白魚や漁獲高も年々増えつつあり定期船も
完全復活との明るい話しをいただきました。



しかし、島民の流失は避けられず200名ほど居た島民は
100名ほどに減ってしまったそうです。
そんな!現実を知りながら・・・嘗て島唯一の雑貨店していた「かじや商店」の
「長南まり子さん」とお会いしました。
「今は島に訪れるのは御墓参りだけとなってしまいました」
・・・という「まり子さん」!
一緒に御墓参りをさせていただきました。




「震災から5年」!「夢中に過ごした頃は感じなかった痛みが改めて辛くなった」!
そんな5年目を迎えていると言われました・・・
その痛みを知るために「かじや商店」があった場所に向かいました。

「この辺りがお店でした」!と言われた場所は「危険区域」となり
今後、宅地としては使用できないということになったのです・・・



「かじや商店」は元々は日本初の蒸気船の製造に関わった鍛冶屋として始まり
この島で400年続く先祖伝来の土地を守ってきました。
そんな歴史や思い出全てを失うということなのです!

震災の1年前・・・終の棲家として島に戻ったまり子さんは「かじや商店」に
「ゆとりろ」という島の人も、外から来た人も
語り合い楽しめる喫茶店を作りました。
しかし、島の人口流失・危険地域指定の土地では到底再建は無理なので
今現在は塩釜市内の復興住宅に居を構えました。

仮設住宅で暮らした頃、心を癒してくれたのはボランティアで教えに来ていただいた
「つるし雛」でした。
今では仮設住宅で出会った仲間たちと新たな人生を歩み出しています。

この5年を振り返ると・・・「かじや商店」の主人であったお母さんを亡くし・・・


めでたきことでは!息子さんの結婚・・・

本当に様々なことが去来した5年だったと思います。
最後に・・・「まり子さん」が、こんな写真を見せてくれました!
まり子さんのお祖父さんが「ラッコ船」で記念撮影した写真です。


瓦礫の中から!たった1枚見つかった写真・・・
それもラミネート加工していたので・・・汚れることもなく!
ダンディーだった!というお祖父さんは・・・今!
まり子さんに何を語りたいのでしょう?


取材にご協力頂いた「土井さん」「内海さん」「長南さん」へ、
心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。。。

寒風沢島の10年後もしっかり見つめてゆきたいと思っています!
これからも宜しくお願い致します。ありがとうございました。



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