頑張ろう!宮城 「あれから3年」石巻市渡波

 
本日は特別版、震災後3年経った石巻市渡波地区をリポートします。。。
 

震災直後にリポートした同じ場所に立ってみました。

かさ上げの為の盛り土は置かれているものの、あの頃と
あまり変わらない状況に愕然とします。
それでは!
震災直後、避難所として利用されていた「渡波小学校」に行ってみましょう。

仮設トイレも無くなり、車が乗り入れられた為に当時はぐちゃぐちゃに
なっていた校庭も綺麗に整備されています。
そんなリポートの後、車で立ち去ろうとした時・・・一人の男性が
何やら小さいお地蔵さんに花を添えていました。
通りを挟んで「お話を伺っても宜しいですか?」の問いかけに
快く応じて頂きました。

男性のお名前は「布施さん」。実は震災の津波で流されたお嬢さんの
「莉桜(りお)」ちゃんがこの場所で変わり果てた姿で発見されたのです。

たくさんの思い出を津波で流されましたが、瓦礫の中から発見された
七五三の時の「莉桜」ちゃんの写真を見せて頂きました。
当時6歳。可愛い笑顔に涙が止まらなくなりました。

そして!3月11日は莉桜ちゃんも含め多くの方々の命日でもあるのです。

震災から3年目の3月11日。布施さんご家族は莉桜ちゃんが発見された、この場所に
手を合わせに来て居られました。そして!お父さんに抱きかかえられたお嬢さんは
震災の年の8月に生まれた、莉桜ちゃんそっくりの華暖(かのん)ちゃんでした。

ご両親は、この3年間どれだけ辛い想いをしたのでしょう。
どれだけ涙を流したのでしょう。

でも、あれから3年!布施さん家族は上を向いて歩いています。
(突然の声掛けにもかかわらず「娘の供養になります」と、お話を戴き
誠に有難うございました。心から感謝申し上げます。)


渡波を見渡せる高台に「洞源院」という古寺があります。

震災の津波を逃れ多くの方々が高台の洞源院に避難して来ました。
その数おおよそ400人。何のためらいも無く寺に受け入れたのが
洞源院のご住職「小野崎ご夫妻」です。

それから仮設住宅に移り住む半年に渡り400人の共同生活が始まったのです。
食料も着る物も暖も不足の状況下、人々の心を和ましてくれたのは
25人居た避難所の子供達の存在でした。
そんな子供達の写真と言葉をまとめた冊子が作られました。
「洞源院避難所の子供たち」!
この冊子の表紙の写真が多くの方々に勇気を与えてくれました。

この二人は姉妹では無いのです。
「小桃(こもも)」ちゃんと「琉依(るい)」ちゃん!
我が妹のように慈愛に満ちたその姿が忘れられません。
あれから3年!二人はどうして居るのでしょう?

あれから!3年経った二人が洞源院に遊びに来てくれました。

今は渡波祝田地区のそれぞれの家で生活しています。
お姉さんを努めていた小桃ちゃんに当時の事を聞いたら・・・
こんな言葉が帰ってきました。避難所で生活する時の不安として
「友達が出来るかな」?でした。。。
でも、子供としては切実な不安だったのでしょう。
小桃ちゃんのお母さんにお話を伺いました。

とにかく小桃ちゃんは引っ込み思案で
お母さんの陰に隠れてばかり居た子供だったそうです。
しかし、避難生活の中で私も何か役に立たなくては・・・
との思いが芽生えて来たのでしょう。
今では、自分から進んで柔道を習いたいと言い出し!頑張っています。。。

小桃ちゃんの3年後の思いは・・・
「じゅうどうせんしゅになりたい」!でした。


こんな!子供達との出会いが洞源院のご住職ご夫婦に新たなる決断をさせたのです。
それは、津波で流されて無くなってしまった渡波の保育園の建設です。
2年余の月日を通やし、今年の4月に開園を迎える事が出来ました
「石巻ひがし保育園」!

御住職ご夫妻の3年後への思いを書いて頂きました。

「安定した仕事ができ、若い人たちが多く定住してほしい」!です。
そうすれば、その子供たちが更なる未来を担ってくれる。それが願いです。


2014年3月11日午後2時46分「洞源院」。
青く澄み渡る海に向かって皆さんでお経を捧げて居りました。

この渡波に輝く未来を。。。



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