ご挨拶
皆さま 梅雨時期、どんよりとした天気の日も多いですが、
お元気でお過ごしでしょうか。
さて、ここで皆さまにご挨拶があります。
私、本日、6月30日をもちましてアナウンサーを卒業。
7月1日付で営業局に異動することになりました。
96年4月入社ですからアナウンサー生活、30年と3か月。
振り返ってみますと、
正直、うまくいった「放送、実況」というのはほとんどありませんが、
「名前通りのアナ人生は送れたかな」というのがまず率直な感想です。
私の場合(世間にいらっしゃる多くの「拓さん」にもあてはまるかもしれませんが・・・笑)、
両親から「開拓者になって欲しい、という思いを込め名付けた」と聞いています。
私のアナ人生、思い出を挙げますと
2003年・・・U-18 国際ユースサッカー大会 第1回「仙台カップ」
社内立ち上げメンバーとして参加、実況も担当。
2005年・・・宮城で楽天イーグルスが誕生。ミヤテレ初のプロ野球担当アナに。
2006年・・・全日本大学女子駅伝が仙台開催に。初回から7年、中継を担当。
2013年・・・楽天イーグルス 日本一
勝利の瞬間の実況と祝勝会のビールかけリポート担当 もちろんミヤテレ初
2015年・・・アイスショー「THE ICE」の実況担当
フィギュアスケートの実況もミヤテレ初
とにかく、私のアナ人生は「初」がキーワード。
初の中継ですから、とにかくすべてが手探り。
準備には膨大な時間がかかりました。
普通は野球も駅伝も、
サブアナ(実況アナのサポート役)やリポーターで
経験を積んだ上で実況という流れですが
私はいきなり野球はメイン実況、陸上は移動中継車を担当。
放送内容は本当に恥ずかしい限りです。
ただ間違いなく「開拓者」にはなれました。
名前を付けてくれた両親にも感謝しています。

*女子駅伝担当時
また、デイリーの業務では、ざっと計算しても、
キャリアの半分以上、OH!バンデスと共に過ごしました。
ロケでは(おそらく)県内全市町村に伺いました。
中継では仙台市内くまなく伺いました。
すべての方との出会いが私の財産です。

*昔はバンデスリポーターはこちらを着用して取材

*若手時代に担当した24時間TV
このころの私のキャッチフレーズは「爽やかさ丸出し」
もちろん、嬉しいことばかりではありません。
2011年には東日本大震災がありました。
バンデス内ではロケで何度も何度もお邪魔した女川町が取材担当になりました。
女川町では取材中、何度も涙が出ました。
取材で大変お世話になった方もお亡くなりになりました。
本来、アナウンサーは冷静に現場を伝えることが仕事。
ただ、私には出来ませんでした。
この30年、様々な現場で
「拓ちゃん、頑張れよ!」と多くの方からお声がけ頂きました。
そんな後押しもあり、ここまでアナウンサーとして走り切ることが出来ました。
この場を借りて、皆さまに御礼申し上げます。本当に有難うございました。
そして、ここまで支えてくださった家族、仲間、同僚にも感謝。
アナウンサーは決して1人ではできない仕事なので・・・。
最後のニュースにも多くの仲間が・・・。感謝しかありません。

最高に人に恵まれたアナ人生でした。
会社を辞めるわけではありませんので、
今度は「営業」として様々なイベント会場にいます。
皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。
