アナウンサーブログ

伊藤 拓
Taku Ito

野村監督、ありがとうございました。

2020.02.29 (Sat)

2月11日。楽天の元監督、野村克也さんが亡くなりました。

偶然ですが、祝日で私がニュースを担当する日。4年間ずっと監督の「ぼやき」を聞いてきただけに

心を込めて訃報のニュースを読みました。

帰宅後もメディアで報じられる監督のニュースを見まくりました。

各局が選び抜いたぼやき・・・。どれも間近で聞いていたものばかりでした。

そして冷静に考えました。とにかく毎日のように球場に行っていたあの4年。

ホームゲームが仙台で70試合近く。編集されることのないぼやきをこれだけ聞いたのは宮城県民の中でも

貴重な存在のではないか・・・と。

だからこそ、その取材の合間で監督が見せた素顔を・・・。

ちょっとだけお付き合いください。

①観察力

試合前、ずっとベンチで報道陣と会話する監督。ただ暗黙の了解があります。

監督の目の前は、少しグラウンドが見えるように空けておくのです。

とは言ってもずっとしゃべり続ける監督。正直、どれくらいグラウンド見ているのか、疑問に思っていました。

ある日、事件は起こりました。バッティング練習中、バッティングピッチャーにボールが直撃したのです。

倒れこむ投手。報道陣も騒然としました。ただ、監督は見ていました。

「大丈夫か・・・でも急所は外れとるわ。大事に至らんといいが・・・」

確かに、実際、顔近辺にボールが当たりましたが、大けがまでには至りませんでした。

ある選手が、バッティングを終えてベンチに戻ってきました。

すると、それまでご機嫌で話していた監督が厳しい表情になりました。

「お前の持ち味はなんだ。その打ち方でいいのか?」
我々と話していても、視線は、思いは、常にグラウンド。そして、その観察力が野村野球の神髄なのかも、と思ったものです。

②気配りの方 信念の方 

ボヤキを聞いていると常に「単刀直入」にものを申す方と思われていると思います。

ただ、周りには本当に気配りの方です。取材でインタビューなどをお願いします。

すると数日後、担当ディレクターが喜んでいます。「見てよ、監督からお礼状が。」と。それは筆で書かれたメッセージ付き。

久米島のホテルで監督とすれ違ったことがありますが、手紙を数通持ってホテル近くのポストに投函していました。

「俺は人付き合いが苦手なんだ・・・」よく報道陣にそんな話をしていましたが、誰よりも気配りされる方でした。

また、監督は「育てる」と決めた選手は、とにかく使い続けました。我慢強く・・・。

中日時代、なかなかチャンスがなく楽天に移籍してきた鉄平選手(現・打撃コーチ)。

ときどき「ぼやき」ながらも使い続けました。

ある日、会見で「鉄平が・・・本物になってきたかな・・・」そう呟きながら、すこし嬉しそうな表情は忘れられません。

その後、首位打者に輝いたことはみなさんもご存知でしょう。まさに監督の「信念」もこのタイトル獲得にはかかわっていると思っています。

 

楽天生命パークの献花台に私も行ってきました。

私なりに監督に感謝の思いを伝えてきました。改めて・・・

監督 ありがとうございました。

                                         合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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