八乙女 光
  • 東日本大震災の時は、どこで何をしていましたか?

     たまたま仕事が休みで、東京の家で母親と一緒にいて。東京でもかなり揺れて、机の下に隠れました。テレビで宮城の様子が映って、宮城のアナウンサーが現状を伝えていて、深刻な問題になったと分かりました。すぐに宮城にいる兄と祖母に連絡したけれど、電話が繋がらなくて。兄とは当日の22時にようやくつながって、普段元気な兄がとても沈んでいたことを覚えています。「とんでもないことが起きた」と言っていました。祖母とは次の日の昼にようやくつながって、「大丈夫だ」と聞いて安心したことを覚えています。

  • 震災後、初めて被災地を訪れた時に感じたことはありますか?

     その年の夏ごろだったと思います。プライベートでジャニーさんと一緒に宮城に行きました。被害のある地域に行ったとき、海から遠いところでも町の様子が変わっていて…。宮城県の多賀城市のあたりで、「えっ!」と思うくらい何もなくなっていて、衝撃を受けたことを覚えています。家の基礎しか残っていないところとかを見ました。
    そして、現場で案内していただいた方から聞いたことが特に印象に残っています。 「ほかの県の人から〝大丈夫?〟と聞かれるほうがつらかった。」 「亡くなった方もいるが、自分たちは生きているし、元気にやっている。」 これを聞いて、被害にあった方との接し方の難しさを知りました。

  • 震災当時を思い出す“スイッチ”(思い出すきっかけとなるモノ・こと)は何ですか?

     募金箱を見ると思いだします。「マーチングJ」として募金活動をグループ関係なく、事務所の全アーティストで行いました。その経験があって、いまでも様々な募金箱を見ると、震災当時のことを思い出します。

  • 宮城出身の八乙女さんは、震災を風化させないために必要だと感じることはありますか?

     「振り返る」ということも大事だけど、「前に進む」ということも大事だと思います。活気を取り戻すために祭りをやるとか、その取り組みを東京で取り上げるとか。振り返るだけだと重たい気持ちにもなるけれど、前に進むためのことで生まれることもあります。例えば、祭りを開催する。すると、こどもたちは「なんでこういう祭りをやっているの?」という興味が生まれる。そのときに「こういう震災があったから、こういう祭りをやっているんだよ」と教えることができる。「前に進む」ために動き出すことで、風化ということにぶつかり合えるのではないかと思います。

  • あなたが思う被災地の10年後

     今回の番組で、岩手・宮城・福島の三県は、1つ1つが輝いていると思いました。それぞれにさらに多くの光が集まって、より強い光になったらいいなと思います。
     そして、番組を見てくださった方には、〝どう復興したらいいか?〟ということを考えるきっかけになればいいなと思います。いまは新型コロナで大変ですが、落ち着いたら、僕も現地に足を運びたいと思います。

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